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概要

海外遺骨収集についての概略説明

 海外などからの戦没者の遺骨の御帰還は、昭和27年度から南方地域において始まりました。その後、平成3年度からは旧ソ連地域における抑留中死亡者について、更に平成6年度からはモンゴルにおける抑留中死亡者についても遺骨の御帰還が可能になりました。
 この結果、これまでに約33万柱の遺骨が御帰還し、陸海軍部隊や一般邦人の引揚者が持ち帰ったものを含めると、海外戦没者約240万人のうちの約半数(約127万柱)が御帰還しています。
 戦没者の遺骨が残されている地域には、相手国の事情や海没その他の自然条件等により御帰還ができない地域等が残されていますが、今後も現地政府などからの残存遺骨情報の収集に努め、そうした情報に基づき、遺骨の御帰還を実施することとしています。相手国の事情により遺骨の御帰還ができない国には、外務省と連携し遺骨の御帰還の実現に向けて努力しているところです。なお、旧ソ連及びモンゴル地域においては、先の大戦の後に約57万5千人の方々(帰還者からの聴き取りによる推計)が抑留され、約5万5千人の方々が抑留中に死亡されていることから、こうした抑留中死亡者の方々に関する埋葬地の特定や計画的な遺骨の御帰還の実施に努めており、平成24年度までに19,187柱の遺骨が御帰還し、モンゴル地域についてはおおむね御帰還が終わっています。
厚生労働省ホームページから引用)

遺族者の感想

政府派遣フィリピン遺骨収集に参加した「活動と思い」

都城市 男性(戦没者の子)

 私の父は、フィリピンのルソン島リザール州パンタイで昭和20年3月に戦死しました。

 戦後、母と農業を見よう見まねで中学時代から田畑仕事をして生きてきました。
 その母も97歳になり、デイケアにお世話になっている生活です。母への感謝と、その恩返しと思い、また父に少しでも近づきたい気持ちで平成19年度政府派遣遺骨収集に参加しました。

 マニラから南へ1時間のセブ島に行き、そしてセブ島空港から車で4時間北へ「からいも」畑とジヤングルの川沿いの2ヶ所でスコップと熊手の作業でした。

 今回はフィリピン大学の骨の博士が同行して鑑定をしておられました。
 畑から腕の骨と真っ白の歯が見つかり、思わず涙が出て止まりませんでした。胸の中で「迎えにきました」と叫びました。重なった遺骨、バラバラな遺骨、土の中からかっ色の遺骨が出て来ました。63年たっても土に戻らない、迎えが来るまでは待っていると言っているように思えてなりませんでした。銃の弾釦も出土しました。

 教会の預かり遺骨、現地の人の預かりと合わせて152柱を祖国日本へ持って帰りました。
 246万人の戦死者のうち遺骨が日本に帰って来ているのは352,926柱(昭和27年〜平成19年)と千鳥ケ淵戦没者墓苑拝礼式でお話しがありました。
 洋上戦死の収集は難しいかも知れませんが、戦場となった国、地域にはまだまだたくさんの遺骨が残っています。「なんとかしないといかん」日本政府は遺骨収集を打ち切ることがあっては絶対にいけないと思いました。

 今回の派遣の前に事前活動をした人達がいました。

 現在はフィリピンのセブ島に活動拠点を置いているチームですが、NPO特定非営利活動法人「空援隊」で、現地の人を駐在員に置き情報収集して現状を確認させて政府厚生労働省に報告をしており、それが今回の遺骨収集の大きな成果につながったと思います。
 また、壕の中付近に100柱以上の遺骨が見つかったとの報告を受けて、政府派遣で平成20年7月に特別遺骨収集が行われることになったそうです。さらにルソン島にも駐在員を置き情報収集活動をしていくそうです。

 最後に、遺児の皆さん、高齢になってきましたが、遺骨収集に参加されて、待っている遺骨を祖国日本へ連れて帰って頂きたいと願っています。
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