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昭和2年
(1927年) |
徴兵令改め兵役法公布 |
金融恐慌おこる |
第1次山東出兵 |
各地で銀行取り付け騒ぎがおこる |
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昭和3年
(1928年) |
済南事件(日本軍が中国国民政府軍と武力衝突) |
全県に特別高等警察(通称「特高」)設置 |
満州某重大事件(張作霖爆殺) |
佐土原銀行ら8行が合同して日向中央銀行を設立する |
都城歩兵第23連隊、済南へ出動 |
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昭和4年
(1929年) |
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田中義一内閣総辞職(満州某重大事件の引責辞職) |
県下製糸業同業組合総会で操業時間の短縮を決定する |
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昭和5年
(1930年) |
ロンドン海軍条約調印(統帥権干犯問題おこる) |
浜口雄幸内閣、金輸出を解禁(金解禁) |
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旭ベンベルグ絹糸工場が操業を開始 |
本県の失業状況 人口77万1,000余人に対し、県下2市94町村を通じ874人 |
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昭和6年
(1931年) |
柳条湖事件起こる(満州事変、9月18日) |
若槻礼次郎内閣総辞職 |
陸軍兵卒等級表廃止(卒を兵に変える) |
県下全域で地震(西臼杵郡を除く)、宮崎は震度5、死者30人、家屋全壊・破損60戸、石造物倒壊1,060箇所、橋梁5ヶ所の被害 |
関東軍、満州各地を占領 |
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昭和7年
(1932年) |
上海事変勃発
(肉弾三銃士喧伝される) |
大阪で国防婦人会発会
(大日本国防婦人会へ発展) |
「満州国」建国宣言(3月1日) |
五・一五事件、犬養首相(78歳)射殺される |
満州事変で都城連隊出動 |
満州へ最初の武装移民団416人出発 |
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新県庁舎が竣工する |
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昭和8年
(1933年) |
塘沽停戦協定締結(満州事変終わる) |
政府、国際連盟脱退を通達(3月27日) |
満州出動中の都城連隊が帰還する |
『小学国語読本』(サクラ読本)使用開始(4月) |
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県民の献金による献納機命名式が行われる(海軍機は宮崎市、陸軍機は都城市) |
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昭和9年
(1934年) |
満州国帝政実施(皇帝溥儀) |
東北地区冷害、凶作 |
満鉄、大連−新京間に特急「あじあ」号の運転開始(11月1日) |
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都城陸軍飛行場が落成する |
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昭和10年
(1935年) |
梅津・何応欽協定(河北省に関する日本軍の要求、全部承認) |
青年学校令公布(全国で約1万7,000校) |
陸軍特別大演習が始まり、大本営が都城中学校に置かれる |
第4回国勢調査実施(内地人口6,925万人、外地人口2,844万人) |
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昭和11年
(1936年) |
二・二六事件(東京市に戒厳令布告) |
広田弘毅内閣、軍部大臣現役武官制度復活 |
帝国在京軍人会令公布(軍の公的機関となる) |
県種畜場内に宮崎県役馬利用指導者養成所を併設 |
日独防共協定調印 |
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大日本傷痍軍人会発会 |
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昭和12年
(1937年) |
廬溝橋で日中両軍衝突(日中戦争の発端、7月7日) |
閣議で国民精神総動員実施要綱決定(8月) |
南京占領 |
国民精神総動員実施要綱および実施方法を決定 |
都城連隊に動員令が下る |
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昭和13年
(1938年) |
徐州作戦始まる |
国家総動員法公布 |
武漢三鎮占領 |
灯火管制規則施行 |
日中戦争における宮崎県内将兵の動員状況・戦病
死者調査で、動員人員1万7,488(陸軍1万4,799、海軍2,689)、馬匹車両(馬9,103、自動車106、車両144)、戦傷者957(陸軍930,海軍27)となる。 |
白米食廃止を支所長,市長、各学校あてに通牒する |
都城に歩兵第72連隊(4月)、歩兵第147連隊(5月)編成 |
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昭和14年
(1939年) |
ノモンハン事件 |
警防団令公布 |
第二次世界大戦始まる(9月1日) |
映画法公布(脚本事前検閲等を規定) |
日中戦争で宮崎県内将兵の動員者数2万3,781(陸軍2万3,487、海軍充員294)、馬匹1万5,407、車両644,自動車358、戦傷死者2,095人(陸軍2,036、海軍59)となる。 |
国民徴用令公布(職業能力申告者の徴用が可能となる) |
都城に歩兵第226部隊(9月)編成 |
米穀配給統制法公布 |
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昭和15年
(1940年) |
アメリカ、石油・鉄屑輸出を許可制へ |
国民精神総動員本部、東京市内に「ぜいたくは敵だ」の立看板1,500本を設置 |
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砂糖、マッチ配給統制規則各公布(11月1日 砂糖、マッチの切符制全国実施、米穀の国家管理を強化) |
日独伊三国同盟ベルリンで調印 |
八紘之基柱の竣工式(昭和14年9月5日着工) |
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昭和16年
(1941年) |
日ソ中立条約モスクワで調印 |
国民学校令公布(小学校を国民学校と改称) |
日米交渉始まる |
乗用自動車のガソリン使用禁止 |
アメリカ、ハル・ノートを提示 |
閣議で戦争の名前を「支那事変」を含め「大東亜戦争」とすることを決定 |
御前会議、対米英蘭開戦を決定(12月1日) |
新聞統制により日向日日新聞社が設立(1県1紙となる) |
米英両国に宣戦詔書 |
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マレー半島上陸、真珠湾攻撃(12月8日) |
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昭和17年
(1942年) |
マニラ占領 |
衣料品総合切符制実施 |
シンガポールの英軍降伏 |
味噌・醤油の切符配給制実施 |
ジャワの蘭印軍降伏 |
米軍B25型爆撃機16機、本土(東京、名古屋等)初空襲 |
ミッドウエー海戦 |
金属回収令により、寺院の仏具・梵鐘等、強制供出命じられる |
赤江海軍飛行場の建設に着手 |
「欲しがりません勝つまでは」など、国民決意の標語決まる |
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昭和18年
(1943年) |
ガダルカナル島撤退開始 |
ジャズなどアメリカ・イギリスの楽曲約1,000曲の演奏禁止 |
アッツ島守備隊玉砕 |
閣議で食糧増産応急対策要綱決定(休閑地を動員、そば、ひえなどを栽培し主食の補給を目指す) |
キスカ島撤退 |
明治神宮外苑で出陣学徒壮行会(10月21日) |
イタリア、無条件降伏(9月8日) |
徴兵適齢臨時特例公布施行(19年度は徴兵年齢を1年引き下げ、満19歳とする、12月24日) |
アメリカ、カイロ宣言を発表 |
沖縄より第1次引揚者752人になる(本県関係89人) |
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昭和19年
(1944年) |
インパール作戦開始 |
内務省、東京と名古屋に初の建物疎開命令発令 |
マリアナ沖海戦 |
学童疎開促進要綱決定 |
サイパン島守備隊玉砕(7月7日) |
1億国民総武装を決定(竹槍訓練などが始まる) |
日本国内への空襲が本格化 |
勤労報国隊として、北九州の炭山に男382人動員 |
テニアン島守備隊玉砕 |
西南諸島疎開児童第1陣130人が宮崎到着 |
グアム島守備隊玉砕 |
国民学校児童一人に対し兎3匹の飼育を決定 |
レイテ沖海戦 |
竹槍の最高販売価格を1本55銭に指示 |
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昭和20年
(1945年) |
米英ソ、ヤルタ会談開く |
国民勤労動員令公布 |
硫黄島守備隊玉砕 |
東京大空襲、江東地区全滅(3月10日) |
米軍沖縄本島に上陸 |
義勇兵役法公布施行 |
独軍、無条件降伏文書調印(5月7日) |
県下が米艦載機編隊による初空襲(3月18・19日) |
沖縄守備軍の組織的抵抗終わる(6月23日) |
米軍爆撃機B29による空襲(4月22日) |
米英ソ、ポツダム会談開く(7月) |
広島に原爆投下(8月6日) |
ソ連、対日宣戦布告(8月8日) |
長崎に原爆投下(8月9日) |
御前会議、ポツダム宣言受諾を決定(8月14日) |
正午、戦争終結の詔書を放送(玉音放送)(8月15日) |
連合国軍最高司令官マッカーサー元帥、厚木到着(8月30日) |
南朝鮮引揚第1船「興安丸」、仙崎港に入港(公式引揚の第1船)(9月2日) |
米艦ミズーリ号上で降伏文書調印(9月2日) |
特設病院船「高砂丸」レメヨン島より別府港に入港(9月25日) |
都城に歩兵第277連隊(3月)、歩兵第422連隊(5月)、歩兵第511連隊(6月)編成 |
宮崎軍政部の初代長官マスマン海軍少佐が正式着任(10月17日) |
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全国人口調査実施。総人口7,199万8,104人(11月1日) |
県下の人口、男42万6,076人、女48万7,485人(11月1日) |
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