私の戦争体験
体育の日の少し薄暗くなりかけた夕暮れ時、ひとりで遊びに来た孫娘を見送る為に、西都城駅に行った。駅で人を見送る事など近頃では無い事であった。
発車まで8分、改札口を出ようとする孫娘に、駅員さんが「上にはまだ誰も行っていないよ、それに上は寒いよ」と、声をかけてくださった。発車時刻が近づいて階段を上って行く孫娘を見送って、私は駅員さんにガラス越しに軽く会釈して駅を出た。
と、ふいに激しく私の胸を揺って、同じこの駅での50年前のあの日の事が、ついこの前の事の様に蘇って来た。
あの時は若い女の駅員さんであった。
3度目の召集で下関の連隊に入隊する夫を見送りに来ていた。その頃は見送りの人は改札口から奥へは入れなかった。しかし、その駅員さんは「汽車が出るまで居ていいですよ」と言って下さった。私は夫の母とプラットホームへと続く長い階段を駈けのぼって行った。
母と私のふたりだけの見送り。
夫は、「母さん−たえこをたのんでな−」と、泣きそうな声で叫びながら発って行った。私は声を出すと泣きそうで、一言も何も言えずにいた。「夫が出征する時、妻が泣くと生きて帰って来られない」と聞いた事のあった私は、夫が発つまでは決して泣かない、と心に決めていた。
駅の外に出ると、姉達みんなが私を囲む様に寄って来てあれこれ聞くが、私は一言も何も言わず口を固く結んで首だけで返事をしていた。口を開くと「ウワーッ」と大声で泣き出しそうだったから。
結婚して1年目、長男を身ごもって3ヶ月、そしてその日は私の23回目の誕生日だった。
私はあの日の事を思い出す度に、あの若い女の駅員さんの事も忘れる事は出来ない。
今になって思う事であるが、あの駅員さんはきっと毎日のようにあの様なつらい別れを見続けておられたのであろう。私に声をかけて下さった時のお顔は、今にも泣きそうな、そして哀しい迄にやさしいお顔であった。
はっきり見える様に今でも浮かんでくる。
あの時の、あの駅員さんのお顔を思い出す度に、私は今でも涙が溢れてしまう。