| [22] 宮崎特攻基地慰霊碑(鎮魂) | <碑 名> 宮崎特攻基地慰霊碑(鎮魂)
<所在地> 宮崎市本郷北方樋渡
<所有者> (土地)財団法人赤江振興会地方協力会 (管理)宮崎県特攻基地慰霊碑奉賛会
<建立時期> 昭和58年3月
<合祀柱数> 138柱
<慰霊祭(追悼式)の時期> 毎年4月
<特記事項> 宮崎特攻基地(赤江海軍飛行場)から銀河特攻機47機、搭乗員140名並びに陸海攻撃・雷撃作戦に搭乗員605名が出撃しており、鎮魂碑のほか慕銘碑が建立されている。 |
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| [20] 第三十七師団戦没者慰霊之碑 | <碑 名> 第三十七師団戦没者慰霊之碑
<所在地> 宮崎市神宮2丁目4−3
<所有者> 第三十七師団戦没者生存者会
<建立時期> 平成元年11月11日
<合祀柱数> 7,920柱
<特記事項> この慰霊碑は、第二次世界大戦において、中国各地の戦闘に参戦した第37師団所属の戦没者の御霊を祀るために建立された。 |
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| [1] 宮崎市大宮地区 | <碑 名> 慰霊塔
<所在地> 宮崎市下北方町陣ヶ平い号6384番地1号
<所有者> 宮崎市大宮地区遺族会
<建立時期> 大正3年4月 昭和33年5月28日
<合祀柱数> 482柱
<慰霊祭(追悼式)の時期> 年1回 6月 ※慰霊祭(追悼式)の詳細は こちら を御覧ください。 |
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| [19] 台湾歩兵第一連隊宮崎県出身戦没者慰霊之碑 | <碑 名> 台湾歩兵第一連隊宮崎県出身戦没者慰霊之碑
<所在地> 宮崎市神宮2丁目4−3
<建立時期> 昭和59年3月
<合祀柱数> 132柱
<特記事項> この慰霊碑は、第二次世界大戦において、中国大陸及び東南アジア、南方方面の戦闘に参戦した第48師団(台湾歩兵第一連隊)所属の本県出身戦没者の御霊を祀るために建立された。 |
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| [16] 宮崎市佐土原町広瀬地区 | <碑 名> 広瀬護国神社
<所在地> 宮崎市佐土原町大字下那珂3960−5
<所有者> 宮崎市佐土原町広瀬地区遺族会
<建立時期> 明治3年2月15日創建 平成2年2月改築
<合祀柱数> 450柱(うち52柱 戊辰の役)
<慰霊祭(追悼式)の時期> 年1回 10月 ※慰霊祭(追悼式)の詳細は こちら を御覧ください。 |
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| [10] 宮崎市倉岡地区 | <碑 名> 慰霊塔
<所在地> 宮崎市大字糸原419−2
<所有者> 宮崎市
<建立時期> 昭和30年5月5日 平成19年8月11日移設
<合祀柱数> 126柱
<慰霊祭(追悼式)の時期> 年1回 3月 ※慰霊祭(追悼式)の詳細は こちら を御覧ください。 |
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| [21] 宮崎県ブーゲンビル島戦没者慰霊碑(鎮魂) | <碑 名> 宮崎県ブーゲンビル島戦没者慰霊碑(鎮魂)
<所在地> 宮崎市神宮2丁目4−3
<所有者> 宮崎県ブーゲンビル島生存者会
<建立時期> 昭和44年8月30日
<合祀柱数> 1,600柱
<特記事項> 第二次世界大戦において、南太平洋上における激戦地の一つであったブーゲンビル島における戦没者の御霊を祀るために、生還された方々の浄財により建立された。 |
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| [18] 宮崎市高岡町穆佐地区 | <碑 名> A慰霊之碑 B招魂墓 C護国神社
<所在地> 宮崎市高岡町小山田925−7
<所有者> 穆佐護国神社
<建立時期> A平成7年8月15日 B不明 C昭和33年4月
<合祀柱数> 179柱
<慰霊祭(追悼式)の時期> 年1回 10月6日 ※慰霊祭(追悼式)の詳細は こちら を御覧ください。 |
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| [11] 宮崎市住吉地区 | <碑 名> 慰霊碑
<所在地> 宮崎市塩路浜山3082−3 住吉神社境内
<所有者> 住吉自治会(土地)、宮崎市住吉地区遺族会
<建立時期> 明治28年(住吉小学校上の高台) 平成9年移設
<合祀柱数> 336柱
<慰霊祭(追悼式)の時期> 年1回 4月 ※慰霊祭(追悼式)の詳細は こちら を御覧ください。 |
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| [4] 宮崎市大淀・古城地区 | <碑 名> 慰霊塔
<所在地> 宮崎市谷川3丁目 天神山公園
<所有者> 宮崎市大淀地区遺族会 宮崎市古城地区遺族会
<建立時期> 昭和34年7月5日
<合祀柱数> 436柱
<慰霊祭(追悼式)の時期> 年1回 6月上旬 ※慰霊祭(追悼式)の詳細は こちら を御覧ください。 |
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