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都城市高城町有水地区

  [30] 都城市高城町有水地区
<碑 名>
 忠霊塔

<所在地>
 都城市高城町有水(有水寺境内)

<所有者>
 都城市高城町有水戦没者遺族会

<建立時期>
 昭和45年10月30日

<合祀柱数>
 171柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 4月3日

都城市山之口町

  [28] 都城市山之口町
<碑 名>
 慰霊塔

<所在地>
 都城市山之口町花木1589 山之口小学校内

<所有者>
 都城市

<建立時期>
 昭和38年12月1日

<合祀柱数>
 388柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 9月23日

戦災復興記念碑

  [41] 戦災復興記念碑
<碑 名>
 戦災復興記念碑

<来 歴>
 都城市が太平洋戦争時、米軍機の空襲で甚大な被害を受けた戦災地の復興を祈念して、昭和41年2月に建立したものです。

<所在地>
 都城市大王町8の11付近(岩脇橋北交差点前)

<所有者>
 都城市

<建立時期>
 昭和41年2月

軍馬建立之碑

  [37] 軍馬建立之碑
<碑 名>
 軍馬建立之碑

<来 歴>
 日中戦争から太平洋戦争にかけて日本全域から動員され、徴用従軍した軍馬は約10万頭と言われていますが、戦死・病死した軍馬は一頭も故郷へ還ることが出来ませんでした。
 そこで、日中戦争並びに太平洋戦争に動員された軍馬の慰霊並びに占領軍により徴傭された軍馬の顕彰を行うため、終戦40周年の記念事業として、軍馬慰霊顕彰碑が建立されました。
(陸軍墓地内には、この他にも昭和10年と昭和18年に建立された軍馬記念碑があります)

<所在地>
 都城市都島町380番地(都島公園内)

<所有者>
 国(九州財務局宮崎財務事務所内)

<建立時期>
 昭和60年11月

<詳細の問い合わせ先>
 宮崎県軍馬顕彰会

都城市志和池地区

  [24] 都城市志和池地区
<碑 名>
 忠霊塔

<所在地>
 都城市上水流町 志和池の城山址

<所有者>
 都城市

<建立時期>
 昭和29年12月
 昭和39年12月再建

<合祀柱数>
 397柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 10月8日

都城市中央地区

  [23] 都城市中央地区
<碑 名>
 慰霊碑

<所在地>
 都城市小松原町 神柱宮西側公園内

<所有者>
 都城市奉賛会

<建立時期>
 昭和9年8月13日(陸軍墓地)
 昭和30年8月

<合祀柱数>
 3,035柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 10月中旬

都城市高崎町

  [32] 都城市高崎町
<碑 名>
 英霊之碑

<所在地>
 都城市高崎町大牟田1651−3 高崎中学校横 旭ヶ丘公園内

<所有者>
 都城市

<建立時期>
 昭和30年
 昭和46年8月18日再建

<合祀柱数>
 612柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 10月18日

都城市西岳地区

  [26] 都城市西岳地区
<碑 名>
 忠霊碑

<所在地>
 都城市高野町 西岳小学校の横

<所有者>
 個人

<建立時期>
 昭和30年11月

<合祀柱数>
 338柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 11月8日

都城市中郷地区

  [27] 都城市中郷地区
<碑 名>
 忠霊塔

<所在地>
 都城市安久町5206−1 中郷運動広場横

<所有者>
 都城市中郷地区遺族会(中郷地区忠霊塔奉賛会)

<建立時期>
 昭和35年11月20日

<合祀柱数>
 554柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 10月25日

日清戦争記念碑、日露戦争記念碑、砲弾型記念碑

  [47] 日清戦争記念碑、日露戦争記念碑、砲弾型記念碑
<名 称>
 日清戦争記念碑、日露戦争記念碑、砲弾型記念碑

<来歴>
 これらの碑は、いずれも庄内小学校横に並んで建っている。
 日清戦争記念碑は明治29年に建立された。
 ほか2碑の建立時期や設立由来は不明。

<痕跡の所在地>
 都城市庄内町(庄内小学校横)

<所有者名>
 不明

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