平和のこころを受け継いで

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小林市

  [73] 小林市
<碑 名>
 忠霊塔

<所在地>
 小林市大字細野509番地5

<所有者>
 小林市戦没者追悼奉賛会

<建立時期>
 昭和30年3月10日

<合祀柱数>
 1,602柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 10月8日

小林市須木

  [74] 小林市須木
<碑 名>
 忠魂碑

<所在地>
 小林市須木中原1722番地

<所有者>
 小林市

<建立時期>
 明治42年4月10日

<合祀柱数>
 179柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 11月3日

平和の塔

  [80] 平和の塔
<碑 名>
 平和の塔

<来 歴>
 終戦後46年を経過した平成3年11月3日、人々の平和への願いをこめて、大年神社境内に「平和の塔」が建立された。

<所在地>
 小林市須木大字中原1721 大年神社横

<所有者>
 小林市原地区

殉難者の碑

  [75] 殉難者の碑
<碑 名>
 殉難者の碑

<来 歴>
 昭和20年8月10日、農作業に出かける途中の西小林国民学校(西小林小学校)の奉仕隊が、西小林駅前で敵機の標的となり、児童8名を含む10人の生命が奪われ、ほかに18名の重軽傷者を出した。
 終戦後の昭和47年3月、西小林小学校校庭に、地区の有志により碑が建立された。
 ※小林市史 第2巻P865、第3巻P150〜151に記載あり。P902に詳細

<所在地>
 小林市大字南西方 西小林駅付近

<所有者>
 小林市立西小林小学校

<詳細の問い合わせ先>
 小林市社会教育課
 電話:0984−22−7912

殉没者之碑

  [76] 殉没者之碑
<碑 名>
 殉没者之碑

<来 歴>
 昭和20年5月8日、川崎航空機工業株式会社都城工場の食堂で朝食を済ませた頃、突如空襲警報が鳴り、防空壕に避難する途中の動員学徒(旧小林中学校生徒)が爆弾の直撃を受け、一瞬にして10名の死者(のち11人の殉没)が出た。
 慰霊碑は、昭和41年及び56年に小林高等学校の校庭に建立されている。
 ※小林市史 第2巻P856、第3巻P150〜151に記載あり。

<所在地>
 小林市大字真方 小林高等学校校庭

<詳細の問い合わせ先>
 小林市社会教育課
 電話:0984−22−7912

忠霊碑

  [77] 忠霊碑
<碑 名>
 忠霊碑

<来 歴>
 日中戦争及び太平洋戦争戦没者の忠霊碑。
 昭和46年7月25日、社団法人堤自治会によって建立された。
 背面に戦没者氏名が記されている。

<所在地>
 小林市大字堤 堤自治会 堤土地改良区事務所となり

<詳細の問い合わせ先>
 小林市社会教育課
 電話:0984−22−7912

満州第960部隊作業隊慰霊碑

  [79] 満州第960部隊作業隊慰霊碑
<碑 名>
 満州第960部隊作業隊慰霊碑

<来 歴>
 太平洋戦争において、作業隊の精鋭は満州の国境に中国の荒野に南方の諸島へと転戦奮闘したが、その主力は本土決戦に備えて飯野に進駐した。
 この間壮烈な戦死を遂げた者は、50余柱だった。
 有志が集い、作業隊の終焉のこの地に碑を建てた。
 昭和48年9月、九楽会が建立。最近建て替えられた。

<痕跡の所在地>
 小林市大字南西方 県道京町小林線

<詳細の問い合わせ先>
 小林市社会教育課
 電話:0984−22−7912

鎮魂歌碑

  [78] 鎮魂歌碑
<碑 名>
 鎮魂歌碑

<来 歴>
 昭和20年8月終戦直後、明日の除隊を前に兵舎後方の崖崩れにより、多くの兵達が殉難死した。
 平成6年8月15日終戦記念日に、千葉県我孫子市の江藤勇氏によって建立された。
鎮魂歌の作詞者は、村山正八氏と村山祥峰氏。

<所在地>
 小林市大字南西方 県道京町小林線
 満州第960部隊作業隊慰霊碑と同敷地内に所在

<詳細の問い合わせ先>
 小林市社会教育課
 電話:0984−22−7912

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