平和祈念資料展示室
入営・出征
日中戦争から終戦までの間に、宮崎県内では陸軍に12万人、海軍に3万人が召集された。徴兵で陸軍の歩兵に召集されると、ほとんどの男子(壮丁)は都城の部隊に入営した。海軍では志願制をとっていたが、戦局が厳しくなり人員の損耗率が高くなると、徴兵も行った。県内出身者の大半が佐世保の海兵団に入団し、水兵としての基礎教育を受けた。陸軍の兵士は、中国大陸から南方のブーゲルビル島へ移り、絶望的な戦闘をくり返した。満州に召集された兵士は、戦後、シベリアに抑留された。海軍の兵士は、南太平洋から東南アジアが主戦場となった。昭和20年8月15日終戦、県内の戦没者数は、陸軍が2万8千人、海軍が8千200人であった。
寄せ書きの日の丸
昭和15年11月に出征した兵士に贈られ、元米兵により日本への帰還を果たしたもの。18年11月1日、海兵隊員としてブ-ゲンビル島に上陸した際、日本軍の壕の中で見つけ米国に持ち帰った。戦後、大学教授となり日本の新聞社を通じて遺族への返還を希望していたところ、寄せ書きが手がかりとなり遺族が判明した。
第一補充兵証書
第一補充兵は、戦時または事変に際し、必要に応じて現役兵の補充として第1次に召集され、平時でも一部のものは補欠として現役兵に編入された。また軍隊経験がないため、有事を想定した点検・査閲、軍隊教育等を行なう簡閲点呼への参加が義務付けられていた。


