平和祈念資料展示室
戦後
衣料切符
戦時中、戦争の長期化による衣料品の不足が著しくなってくると、政府は衣料品の配給制度を決め、衣料切符を交付した。
切符は点数制で、手ぬぐい3点など製品ごとに点数が決められ、国民は切符がなければ衣料品を購入できない制度であった。
この制度は戦後も継続され、繊維製品の生産が回復した昭和25年まで続けられた。
昭和24年8月1日、通商産業省発行。
捕虜日記
昭和20年11月、シベリアへ強制連行され、抑留生活中、密かにタバコの巻き紙に書いた日記。
「昭和21年3月15日、今日の薪取り作業は、30キロ行軍となった。凍てつける道を薪を背負って、とぼとぼ歩くみじめな姿は、何にたとえ様もない。」などの記載がある。
帰国時には隠して持ち帰った。
「昭和21年3月15日、今日の薪取り作業は、30キロ行軍となった。凍てつける道を薪を背負って、とぼとぼ歩くみじめな姿は、何にたとえ様もない。」などの記載がある。
帰国時には隠して持ち帰った。
「ダモイ東京」
「捕虜日記」を帰国後、口語体にして活字化したもの。
題名の「ダモイ東京」とは、「東京に帰る」という意味で、シベリアへ連行されるときや別の収容所に移動するときは、ソ連兵が必ずこの言葉を使った。
その都度、帰国する夢が破れたことからタイトルにした。
題名の「ダモイ東京」とは、「東京に帰る」という意味で、シベリアへ連行されるときや別の収容所に移動するときは、ソ連兵が必ずこの言葉を使った。
その都度、帰国する夢が破れたことからタイトルにした。


