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宮崎の戦争記録オンラインミュージアム
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平和祈念資料展示室

戦時下の県民生活

 当時の宮崎県民数は約90万人。出征兵士を見送るかたわら、徴用や勤労奉仕に励み、祖国振興隊による開墾作業も行われた。しかし戦争の長期化は、兵員の大量徴集に伴う労働力不足をもたらし、資源、物資も底をつき、農家には供出制度が課せられた。徹底した物資配給制や国債の引受け割り当てなど耐乏生活が日常となり、「欲しがりません勝つまでは」などの標語が叫ばれた。教育の場は軍需工場へとかわり、国民学校の6年生でさえ滑走路造りに従事した。昭和20年には米軍のB29爆撃機や艦載機による空襲も本格的になり、銃後もまた戦場となった。
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任命状
日本赤十字社の正社員に列するとしたもの。昭和18年(1943)2月9日発行。
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き章
日本赤十字社記念章。
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き章
帝国在郷軍人会会員の徽章。
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在郷軍人心得抜粋
軍隊経験者で、普段は生業についているが、戦時に際し必要に応じて召集され国防に任ずべき軍人の心得が書かれたもの。
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壮丁必携
兵役年限内にある男子が、徴兵検査前に読んでおくもの。
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焼夷弾の核
昭和20年(1945)8月、終戦直前に米軍B29爆撃機が西米良村上空で投下した焼夷弾のもの。
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防空頭巾
空襲の際、火災や落下物から首や顔を守る頭巾。頭髪を押さえ込み、頭髪が燃えるのを防ぐ役割も果たした。 当時は珍しい絹製の頭巾。
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航空機用ビス
都城川崎工場で飛行機の機体を留めるために使用したビス。 復員したときに見つけたもの。
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