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宮崎の戦争記録オンラインミュージアム
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平和祈念資料展示室

戦没者

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遺書と写真
昭和16年(1941)12月7日、ハワイ真珠湾攻撃に出撃する前日に書いた「戦場ニ臨ミテ」。 「我は、再び生を得て帰還せじと、ここに頭髪を残す」とある。
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遺書
妻に宛てたもので、戦死後の妻を案ずる気持ちが述べられている。 最終行の「胸の中が熱い血管の為字が書けぬ」が印象的である。
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遺族宅門標
戦死者の遺族宅に掛けられた門標。
戦時中、この前を通行するときには、お辞儀をして遺族に哀悼の意を表した。
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運転免許証
昭和19年(1944)7月10日に取得した運転免許証。
同年9月15日に入営、同9月21日に出征したため、一度も運転することはなかった。
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腕時計
 昭和19年(1944)6月、徳之島海域において輸送船「富山丸」が、米軍潜水艦の攻撃により撃沈された。
 所持者は海中に逃れたが、同船に積載していた航空燃料が引火爆発、周囲は火の海となった。
なんとか徳之島に泳ぎ着いたが、重度の火傷のため力尽き戦死。
 生き残った戦友が腕時計のベルトを切断し、遺品として妻のもとへ送ってくれた。
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小銃弾
戦没者の妻から寄贈されたもの。
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死亡報告書と部隊長が撮ってくれた写真
縄特攻で生死不明であった部下の戦死を確認した部隊長が、終戦直後の8月20日に作成した死亡報告書の写し。
妻町長の公印により正式なものとなった。
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戦死通知書と海軍水兵時代の写真
鹿児島地方海軍人事部長から都農町長に届いた戦死通知。昭和20年3月17日付。
戦没者は、昭和19年(1944)10月2日、ボルネオ方面の戦闘で戦死した。
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