戦争の痕跡 |
都城市庄内空襲時の弾痕(庄内小学校内) |
宮崎市/宮崎市赤江地区、本郷地区の掩体壕
来 歴 赤江飛行場が軍用となって以降、昭和19年に爆撃機などの格納庫として建設された。 赤江地区に3基、本郷地区(本郷北方・南方)に4基が残存するほか、田吉に弾薬庫が2基ある。
他に赤江地区のタンポリ周辺にもこれらの残骸とみられるコンクリート塊がある。詳細の問い合わせ先 宮崎市文化振興課 電 話 0985−21−1836 痕跡の所在地 掩体壕1 宮崎市大字本郷北方
宮崎市大字本郷北方
掩体壕2 宮崎市大字本郷北方
掩体壕2 宮崎市大字本郷北方
掩体壕3 宮崎市大字本郷南方
掩体壕4 宮崎市大字本郷南方
掩体壕5 宮崎市大字赤江
掩体壕6 宮崎市大字赤江
掩体壕7 宮崎市大字赤江
弾薬庫1 宮崎市大字田吉
弾薬庫2 宮崎市大字田吉
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都城市庄内空襲時の弾痕(庄内小学校内) |