| [29] 都城市高城町高城地区 | <碑 名> 忠霊塔
<所在地> 都城市高城町大井手2641−1 郷土資料館裏
<所有者> 都城市高城町遺族協助会
<建立時期> 昭和28年12月20日
<合祀柱数> 696柱
<慰霊祭(追悼式)の時期> 年1回 10月 献花方式 |
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| [32] 都城市高崎町 | <碑 名> 英霊之碑
<所在地> 都城市高崎町大牟田1651−3 高崎中学校横 旭ヶ丘公園内
<所有者> 都城市
<建立時期> 昭和30年 昭和46年8月18日再建
<合祀柱数> 612柱
<慰霊祭(追悼式)の時期> 年1回 10月18日 |
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| [42] 都城空襲犠牲者追悼碑 | <碑 名> 都城空襲犠牲者追悼碑
<来 歴> 第二次世界大戦の末期、米軍は沖縄本島への上陸に先立ち、南九州全域の軍事施設を攻撃した。都城は、昭和20年3月18日早朝、初めて空爆され、以降終戦までの無差別爆撃によって、多くの人命が奪われた。 街は戦後いち早く復興したが、空襲犠牲者については半世紀余も放置されてきた。戦後50年の行事を機に調査が始まり、88名の犠牲者が判明した。そこで心から犠牲者を悼むとともに、恒久平和を誓い、平成11年8月に追悼碑を建立した。 〜碑文より〜
<所在地> 都城市前田町(神柱宮西側公園内)
<所有者> 都城空襲犠牲者遺族会 (連絡先:0986−22−4245)
<建立時期> 平成11年8月
<合祀者数> 88名
<詳細の問い合わせ先> 都城市障害福祉課 |
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| [33] 都城特別攻撃隊はやて慰霊碑 | <碑 名> 都城特別攻撃隊はやて慰霊碑
<所在地> 都城市都島町380
<所有者> 国(九州財務局宮崎財務事務所内)
<建立時期> 昭和52年11月15日
<合祀柱数> 81柱、掩護隊員多数
<慰霊祭(追悼式)の時期> 年1回 4月6日
<特記事項> 昭和20年の沖縄戦において、南九州の陸海軍航空基地からは、爆弾と片道燃料だけを積み込んだ特別攻撃機が、日夜続々と出撃していきました。 当時、都城市の郊外には東・西飛行場があり、昭和20年4月、この基地から初めて四式戦「疾風」特別攻撃隊が沖縄周辺の目標めざして、南の空へ飛び立っていきました。 以来、7月1日まで十七次に及ぶ出撃が行われ、未だ少年の面差しを残す20歳前後の若い特別攻撃隊員が出撃していきました。 戦後32年の歳月と変容によって、基地一帯は当時の面影を偲ぶよすがもありませんでしたが、33回忌を迎えるに至って、隊員の遺族や各方面に慰霊碑建立の気運が高まり、昭和52年の建立となりました。 アフリカ産の黒みかげ石で、都城陸軍東・西飛行場から出撃した特攻振武隊はやての状況などが刻まれています。
<詳細の問い合わせ先> 都城市特別攻撃隊戦没者奉賛会(都城市障害福祉課内) 電話:0986−23−2980 |
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