| [47] 日清戦争記念碑、日露戦争記念碑、砲弾型記念碑 | <名 称> 日清戦争記念碑、日露戦争記念碑、砲弾型記念碑
<来歴> これらの碑は、いずれも庄内小学校横に並んで建っている。 日清戦争記念碑は明治29年に建立された。 ほか2碑の建立時期や設立由来は不明。
<痕跡の所在地> 都城市庄内町(庄内小学校横)
<所有者名> 不明 |
|
| [40] 被爆殉没之地 | <碑 名> 被爆殉没之地
<来 歴> 戦前、都城市にあった川崎航空(現・川崎重工業)の都城工場に学徒動員の小林中学校(現・小林高校)3年生157名が、現在の都城農業高校グラウンドがある位置に建てられた「高千穂寮」で寄宿舎生活をしていたが、昭和20年5月8日の朝、警戒警報を受けて集団で退避中に、米軍の爆撃に遭遇して10名が死亡し、多数の負傷者が出ました。 被爆者の鎮魂と平和への新たなる祈りを捧げるために、昭和56年5月8日に同地に建立されたものです。
<所在地> 都城市祝吉町1−5−1 都城農業高校グラウンドの北西の一角
<所有者> 都城農業高校
<建立時期> 昭和56年5月8日
<合祀柱数> 10柱
<詳細の問い合わせ先> 都城農業高校 電話:0986−22−4280 |
|
| [35] 満州事変戦没者合祀碑 | <碑 名> 満州事変戦没者合祀碑
<所在地> 都城市都島町380番地(都島公園内)
<所有者> 国(九州財務局宮崎財務事務所内)
<建立時期> 昭和9年8月13日
<来 歴> 満州事変の戦没者を合祀するために建立された碑です。
<詳細の問い合わせ先> 都城市障害福祉課 電話:0986−23−2980 |
|
| [38] 陸軍墓地納骨堂 | <碑 名> 陸軍墓地納骨堂
<来 歴> この納骨堂は、旧陸軍第23連隊関係で日中戦争以降の戦没者の分骨を個人ごとに納め、恒久に祭祀する目的で昭和13年にこの地に建立されたものです。 (元々は明治43年に都城へ歩兵第64連隊が配置されたとき、日清・日露戦争で戦没した郷土出身者の遺骨を納めるために現在のホテルハイツ跡地へ建立しましたが、敷地が狭く、参拝が不便であったことから昭和13年に現在の場所へ移りました)
<所在地> 都城市都島町380番地(都島公園内)
<所有者> 国(九州財務局宮崎財務事務所内)
<合祀柱数> 納骨数:9,395柱 内訳:日中戦争:4,992柱、太平洋戦争:3,718柱、終戦以降:685柱
<詳細の問い合わせ先> 都城市特別攻撃隊戦没者奉賛会(都城市障害福祉課内) |
|