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都城市山之口町

  [28] 都城市山之口町
<碑 名>
 慰霊塔

<所在地>
 都城市山之口町花木1589 山之口小学校内

<所有者>
 都城市

<建立時期>
 昭和38年12月1日

<合祀柱数>
 388柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 9月23日

都城市山田町

  [31] 都城市山田町
<碑 名>
 忠霊塔

<所在地>
 都城市山田町山田3881 山田総合支所横

<所有者>
 都城市

<建立時期>
 昭和30年4月30日

<合祀柱数>
 515柱

都城市高城町有水地区

  [30] 都城市高城町有水地区
<碑 名>
 忠霊塔

<所在地>
 都城市高城町有水(有水寺境内)

<所有者>
 都城市高城町有水戦没者遺族会

<建立時期>
 昭和45年10月30日

<合祀柱数>
 171柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 4月3日

都城市高城町高城地区

  [29] 都城市高城町高城地区
<碑 名>
 忠霊塔

<所在地>
 都城市高城町大井手2641−1 郷土資料館裏

<所有者>
 都城市高城町遺族協助会

<建立時期>
 昭和28年12月20日

<合祀柱数>
 696柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 10月 献花方式

都城市高崎町

  [32] 都城市高崎町
<碑 名>
 英霊之碑

<所在地>
 都城市高崎町大牟田1651−3 高崎中学校横 旭ヶ丘公園内

<所有者>
 都城市

<建立時期>
 昭和30年
 昭和46年8月18日再建

<合祀柱数>
 612柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 10月18日

都城空襲犠牲者追悼碑

  [42] 都城空襲犠牲者追悼碑
<碑 名>
 都城空襲犠牲者追悼碑

<来 歴>
 第二次世界大戦の末期、米軍は沖縄本島への上陸に先立ち、南九州全域の軍事施設を攻撃した。都城は、昭和20年3月18日早朝、初めて空爆され、以降終戦までの無差別爆撃によって、多くの人命が奪われた。
 街は戦後いち早く復興したが、空襲犠牲者については半世紀余も放置されてきた。戦後50年の行事を機に調査が始まり、88名の犠牲者が判明した。そこで心から犠牲者を悼むとともに、恒久平和を誓い、平成11年8月に追悼碑を建立した。
〜碑文より〜

<所在地>
 都城市前田町(神柱宮西側公園内)

<所有者>
 都城空襲犠牲者遺族会
 (連絡先:0986−22−4245)

<建立時期>
 平成11年8月

<合祀者数>
 88名

<詳細の問い合わせ先>
 都城市障害福祉課

大戦没記念碑

  [45] 大戦没記念碑
<碑 名>
 大戦没記念碑

<所在地>
 都城市小松原町(神柱宮西側公園内)

<所有者>
 都城市

<建立時期>
 明治41年4月

<詳細の問い合わせ先>
 都城市障害福祉課
 電話:0986−23−2980

太平洋戦争戦没者慰霊碑

  [44] 太平洋戦争戦没者慰霊碑
<碑 名>
 太平洋戦争戦没者慰霊碑

<来 歴>
 過去の日中戦争、太平洋戦争の由来を後世に語り伝えるために昭和11年祝吉尋常高等小学校の郡元出身者が発起人となり、従軍帰還者遺族の方々と共に建設委員会を結成し、一般各位の御協力を得て、平和祈念の碑を建立したものです。

<所在地>
 都城市郡元町(稲荷神社内)

<所有者名>
 稲荷神社

<建立時期>
 平成7年8月15日

<詳細の問い合わせ先>
 稲荷神社

戦傷病者の碑

  [36] 戦傷病者の碑
<碑 名>
 戦傷病者の碑

<所在地>
 都城市都島町380(都島公園内)

<所有者>
 国(九州財務局宮崎財務事務所内)

<建立時期>
 昭和55年1月

<詳細の問い合わせ先>
 都城市障害福祉課内
 電話:0986−23−2980

戦災復興記念碑

  [41] 戦災復興記念碑
<碑 名>
 戦災復興記念碑

<来 歴>
 都城市が太平洋戦争時、米軍機の空襲で甚大な被害を受けた戦災地の復興を祈念して、昭和41年2月に建立したものです。

<所在地>
 都城市大王町8の11付近(岩脇橋北交差点前)

<所有者>
 都城市

<建立時期>
 昭和41年2月

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