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陸軍墓地納骨堂

  [38] 陸軍墓地納骨堂
<碑 名>
 陸軍墓地納骨堂

<来 歴>
 この納骨堂は、旧陸軍第23連隊関係で日中戦争以降の戦没者の分骨を個人ごとに納め、恒久に祭祀する目的で昭和13年にこの地に建立されたものです。
(元々は明治43年に都城へ歩兵第64連隊が配置されたとき、日清・日露戦争で戦没した郷土出身者の遺骨を納めるために現在のホテルハイツ跡地へ建立しましたが、敷地が狭く、参拝が不便であったことから昭和13年に現在の場所へ移りました)

<所在地>
 都城市都島町380番地(都島公園内)

<所有者>
 国(九州財務局宮崎財務事務所内)

<合祀柱数>
 納骨数:9,395柱
  内訳:日中戦争:4,992柱、太平洋戦争:3,718柱、終戦以降:685柱

<詳細の問い合わせ先>
 都城市特別攻撃隊戦没者奉賛会(都城市障害福祉課内)

満州事変戦没者合祀碑

  [35] 満州事変戦没者合祀碑
<碑 名>
 満州事変戦没者合祀碑

<所在地>
 都城市都島町380番地(都島公園内)

<所有者>
 国(九州財務局宮崎財務事務所内)

<建立時期>
 昭和9年8月13日

<来 歴>
 満州事変の戦没者を合祀するために建立された碑です。

<詳細の問い合わせ先>
 都城市障害福祉課
 電話:0986−23−2980

被爆殉没之地

  [40] 被爆殉没之地
<碑 名>
 被爆殉没之地

<来 歴>
 戦前、都城市にあった川崎航空(現・川崎重工業)の都城工場に学徒動員の小林中学校(現・小林高校)3年生157名が、現在の都城農業高校グラウンドがある位置に建てられた「高千穂寮」で寄宿舎生活をしていたが、昭和20年5月8日の朝、警戒警報を受けて集団で退避中に、米軍の爆撃に遭遇して10名が死亡し、多数の負傷者が出ました。
 被爆者の鎮魂と平和への新たなる祈りを捧げるために、昭和56年5月8日に同地に建立されたものです。

<所在地>
 都城市祝吉町1−5−1 都城農業高校グラウンドの北西の一角

<所有者>
 都城農業高校

<建立時期>
 昭和56年5月8日

<合祀柱数>
 10柱

<詳細の問い合わせ先>
 都城農業高校
 電話:0986−22−4280

日清戦争記念碑、日露戦争記念碑、砲弾型記念碑

  [47] 日清戦争記念碑、日露戦争記念碑、砲弾型記念碑
<名 称>
 日清戦争記念碑、日露戦争記念碑、砲弾型記念碑

<来歴>
 これらの碑は、いずれも庄内小学校横に並んで建っている。
 日清戦争記念碑は明治29年に建立された。
 ほか2碑の建立時期や設立由来は不明。

<痕跡の所在地>
 都城市庄内町(庄内小学校横)

<所有者名>
 不明

都城特別攻撃隊はやて慰霊碑

  [33] 都城特別攻撃隊はやて慰霊碑
<碑 名>
 都城特別攻撃隊はやて慰霊碑

<所在地>
 都城市都島町380

<所有者>
 国(九州財務局宮崎財務事務所内)

<建立時期>
 昭和52年11月15日

<合祀柱数>
 81柱、掩護隊員多数

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 4月6日

<特記事項>
 昭和20年の沖縄戦において、南九州の陸海軍航空基地からは、爆弾と片道燃料だけを積み込んだ特別攻撃機が、日夜続々と出撃していきました。
 当時、都城市の郊外には東・西飛行場があり、昭和20年4月、この基地から初めて四式戦「疾風」特別攻撃隊が沖縄周辺の目標めざして、南の空へ飛び立っていきました。
 以来、7月1日まで十七次に及ぶ出撃が行われ、未だ少年の面差しを残す20歳前後の若い特別攻撃隊員が出撃していきました。
 戦後32年の歳月と変容によって、基地一帯は当時の面影を偲ぶよすがもありませんでしたが、33回忌を迎えるに至って、隊員の遺族や各方面に慰霊碑建立の気運が高まり、昭和52年の建立となりました。
 アフリカ産の黒みかげ石で、都城陸軍東・西飛行場から出撃した特攻振武隊はやての状況などが刻まれています。

<詳細の問い合わせ先>
 都城市特別攻撃隊戦没者奉賛会(都城市障害福祉課内)
 電話:0986−23−2980

都城市中郷地区

  [27] 都城市中郷地区
<碑 名>
 忠霊塔

<所在地>
 都城市安久町5206−1 中郷運動広場横

<所有者>
 都城市中郷地区遺族会(中郷地区忠霊塔奉賛会)

<建立時期>
 昭和35年11月20日

<合祀柱数>
 554柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 10月25日

都城市中央地区

  [23] 都城市中央地区
<碑 名>
 慰霊碑

<所在地>
 都城市小松原町 神柱宮西側公園内

<所有者>
 都城市奉賛会

<建立時期>
 昭和9年8月13日(陸軍墓地)
 昭和30年8月

<合祀柱数>
 3,035柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 10月中旬

都城市西岳地区

  [26] 都城市西岳地区
<碑 名>
 忠霊碑

<所在地>
 都城市高野町 西岳小学校の横

<所有者>
 個人

<建立時期>
 昭和30年11月

<合祀柱数>
 338柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 11月8日

都城市庄内地区

  [25] 都城市庄内地区
<碑 名>
 忠霊塔

<所在地>
 都城市庄内町13245−2 庄内児童公園内

<所有者>
 都城市庄内地区戦没者遺族協助会

<建立時期>
 昭和30年4月16日

<合祀柱数>
 566柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 10月18日

都城市志和池地区

  [24] 都城市志和池地区
<碑 名>
 忠霊塔

<所在地>
 都城市上水流町 志和池の城山址

<所有者>
 都城市

<建立時期>
 昭和29年12月
 昭和39年12月再建

<合祀柱数>
 397柱

<慰霊祭(追悼式)の時期>
 年1回 10月8日

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