戦地の兵士を勇気づけ、また慰めるために、慰問文や日用品を入れて送られた袋。昭和12年(1937年)の日中戦争勃発以後盛んに送られるようになった。 石鹸、キャラメル、絵はがき、便箋などの日用雑貨に、少年少女たちは慰問文や人形を入れたり、時には主婦たちによる千人針も納められた。戦局が厳しくなると慰問袋自体がスフ(化学繊維)となり、入れる品物も不足し、かつ隣組や婦人会を通じての強制色が強まって批判も出て、19年秋からの空襲下にあっては慰問袋どころの話ではなくなり、自然立ち消えとなった。