戦争によって遺されたもの
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戦時下の県民生活

 当時の宮崎県民数は約90万人。出征兵士を見送るかたわら、徴用や勤労奉仕に励み、祖国振興隊による開墾作業も行われた。しかし戦争の長期化は、兵員の大量徴集に伴う労働力不足をもたらし、資源、物資も底をつき、農家には供出制度が課せられた。徹底した物資配給制や国債の引受け割り当てなど耐乏生活が日常となり、「欲しがりません勝つまでは」などの標語が叫ばれた。教育の場は軍需工場へとかわり、国民学校の6年生でさえ滑走路造りに従事した。昭和20年には米軍のB29爆撃機や艦載機による空襲も本格的になり、銃後もまた戦場となった。

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