戦争によって遺されたもの
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戦没した陸軍軍人の父

大学卒業後、満蒙開拓青少年義勇軍の幹部・指導者要員として満州に渡る。
昭和18年11月1日、召集を受け小倉西部第73部隊に入営。幹部候補生に合格して将校となるが、終戦直後の8月31日にハルピンの陸軍病院で戦病死。
終戦の混乱の中、父親は満州の知人たちに手紙を通して息子の消息を尋ねまわったが、「息子さんの墓標を見た」との返信が届き、息子の死を受け止めざるを得なかった。

遺書

満蒙開拓青少年義勇軍の幹部・指導者要員として満州に渡る直前、決意を示した和歌と遺爪を残した。皇紀2603年は昭和18年(1943)。


電報

小倉西部第73部隊へ入営するために必要な現役兵証書の写しを速達で送る、と知らせた都農の父親からの電報。


挨拶状

入営の挨拶状を、父親が本人に代わって出したもの。
息子本人から連絡があるまで、通信を見合わせる願いで文が結ばれている。


大学在学中と陸軍少尉時の写真

軍事郵便葉書

昭和20年3月、満州の部隊から母親宛に送ったもので、還暦を迎えた母親を讃える和歌が詠まれている。


死亡告知書

昭和20年8月31日、満州ハルピンの陸軍病院にて肺結核のため戦病死。当時、満州はソ連軍政下にあったため、死亡の通知が伝わらなかった。
戦後、復員者の情報により死亡が判明、昭和28年10月31日付けで県知事から告知書が届いた。


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