戦争によって遺されたもの
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シベリア抑留

終戦後、ソ連に抑留された日本人は満州、北朝鮮、千島・樺太からの将兵を含めた約57万5千人にのぼり、シベリア各地を中心に、黒海周辺から北極圏までに点在する約1300ヶ所の収容所に強制的に連行され、森林伐採、炭坑、鉄道敷設、建築作業などの重労働を課せられた。
昭和20年から21年の最初の冬は、満足な防寒衣類を備えていないうえに、食糧が欠乏して全死亡者約5万5千人のうち、その大半が最初の冬を越せずに倒れた。奴隷的な抑留生活の中で、抑留者を支えたのは「故郷に帰る」「ダモイ(帰国)」の一心であった。

水筒

日本軍の水筒でシベリアに持参したもの。抑留生活中、この水筒で薬草を煎じて飲み命をつないだ。


捕虜日記

昭和20年11月、シベリアへ強制連行され、抑留生活中、密かにタバコの巻き紙に書いた日記。
「昭和21年3月15日、今日の薪取り作業は、30キロ行軍となった。凍てつける道を薪を背負って、とぼとぼ歩くみじめな姿は、何にたとえ様もない。」などの記載がある。
帰国時には隠して持ち帰った。


「ダモイ東京」

「捕虜日記」を帰国後、口語体にして活字化したもの。
題名の「ダモイ東京」とは、「東京に帰る」という意味で、シベリアへ連行されるときや別の収容所に移動するときは、ソ連兵が必ずこの言葉を使った。
その都度、帰国する夢が破れたことからタイトルにした。


防寒作業衣

ソ連軍から支給された防寒作業衣、フハイカという。強制労働や収容所生活中に着用したもの。


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