戦争によって遺されたもの
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戦没した陸軍軍人の父

戦没者の相貌

戦没した海軍軍人の妻

 夫は昭和8年(1933)5月、17才で佐世保海兵団に志願入団。
14年海軍工機学校高等科に入校、修了後は同校教官として後輩の指導にあたった。
18年准士官学生となり、相模海軍航空隊、同6月鹿屋海軍航空隊、次いで豊橋海軍航空隊に配属された。
20年2月17日、副直士官勤務中、米軍機の空襲を受け戦死。

婚姻同意書と記念写真

海軍准士官以上の婚姻には、階級や所属部隊により海軍大臣若しくは鎮守府長官の許可を必要とした。許可を得るため作成したもの。


軍装品切符

各軍装品には耐用年数が決められており、下士官・兵は、この切符で軍装品の補充を受けた。相模航空隊勤務時に交付。


定期乗車券

北佐世保〜上相浦間の定期券。昭和19年1月1日〜1月31日まで有効のもの。


軍事郵便葉書

妻に宛てた葉書。転属により単身で任地に着いた夫が、前任地の後始末を妻に任せる内容。


旅行証明書

夫の転属先の豊橋に移動する妻に出された旅行証明書。鹿屋海軍航空隊発行。


衛門通行証

家族とともに部隊外に居住している准士官が、出勤・退勤時、衛門を通過するため提示したもの。豊橋海軍航空隊発行。


海軍士官用短剣

夫の短剣。豊橋海軍航空隊の本館前で硫黄島から飛来したP51戦闘機の攻撃を受け戦死。短剣のつかは爆風により吹き飛ばされた。


戦死公報

昭和20年2月17日戦死。終戦直後の8月19日、佐世保海軍人事部長から届いた公報。


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