戦没した陸軍軍人の父 |
戦没者の相貌 |
戦没した陸軍軍人の妻
都城連隊の部隊に中国戦線への出動命令が下り、出発がその日の夜であったため、家族に知らせることができず、持っていたうちわに記して、駅で出会った人に託した。
うちわは家族のもとに届けられ、その後、出征した本人からも上海到着の便りが届いた。
しかし、次に届いたのは、戦死を告げる電報であった。
うちわ |
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高原町役場に宛て、自分の出動を家族に知らせて欲しいことや、出発する部隊には600名以上の兵士がいることなどが記されている。 |
軍事郵便葉書 |
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昭和12年(1937)9月10日に上海に到着し、鉄道警備などの任務で忙しく働いていることが書かれている。 |
電報 |
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昭和12年(1937)10月24日に戦死したことを伝える、都城歩兵第23連隊留守部隊が発信した電報。11月11日に届けられた。 |
戦没した陸軍軍人の父 |
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